Nanshiki Teikyu Research Institute
べちさんのブログでもレポートされております通り、昨日開催されたナイタートーナメントにお誘いをいただき、恥ずかしながら参戦してまいりました。
このお誘いをいただいたとき、特に組むペアのいないぼくは弟にメールをしてみたのでした。弟は仕事が忙しく、普段からぼく以上にテニスをしていない(年に3~4回らしい)のですが、意外にも「出てもいいよ」との返事。晴れて出場となったのでした。
最寄駅で待ち合わせてコートへ向かう途中、本日のトーナメントについて会話をしていると、何だか話がかみ合いません。なんと弟は今日のトーナメントを、
硬式だと勘違いしていた!
のでした。ガーン!
こないだメールで「前回の○○区大会のときと同じ陣形でいいよね」と書いたじゃないか!
弟はラケットバッグからわざわざ軟式のラケットを取り出して、代わりに硬式のラケットを3本も詰めて来たのでした。したがって軟式のラケットは1本もないという事態に・・・
しかたなく会場で笑行陣さんが持っておられたグランデュークを貸してもらいましたが、この時点ですでに勝てる気がまったくしなくなっておりました。。。
さて試合です。
細かいことはべちさんのブログにありますので割愛しますが、このトーナメントの特徴は老若男女が一緒にエントリーしている代わりに、年齢もしくは性別によってハンデがもらえるという点です。
具体的には、
1、ペアの合計年齢の差20歳につきハンデ1
2、女性1人につきハンデ1(男男vs女女の場合はハンデ2ということ)
3、「ハンデ1」とは、
①1ゲームにつき1ポイント(1-0から始める)
②ゲームカウント1-0から始める
のいずれかを、ハンデをもらう側が選択できる
というものです。(ハンデをもらわなくてもよい)
開会式では各ペアが合計年齢を自己申告させられました。ちなみにぼくらのペアは
「81」でした。
ところで、第1試合の相手は?と思って聞いていると、なんと「34」だというのです。
34? 俺ら1人分より少ねえじゃん!
・・・つまり高校生だったわけですね。ホントは年齢差が40以上あるのでハンデ2もらえてもいいと思うのですが、そこは上品にハンデ1にさせていただいて、あっさり勝たせていただきました。
その後、ハンデをもらいながら0-4で負けた試合や、ハンデ2を与えた女子ペアに軽く飛ばされた試合などいろいろあり、結果的に12組中7位でしたが、かなり楽しめました。
またこのようなトーナメントがありましたら、ぜひ参加してみたいと思っています。
ナイター主催者さま、ありがとうございました!
このように工夫されたトーナメントだと、
年齢性別を超えて、共に楽しむことができますね!
ナイター主催者さんのアイデアに感心しています。
私もぴーさんと組んで出たときには、
「最高年齢ペア」でした(汗)
最初は冗談かと思いました。
だって私は永遠のスポーツ少女ですもの♪
ところがそれは現実でした・・・。
そして気がつけば成年どころか、シニア45に近づいている現実!
何はともあれ、また楽しみましょうね!
チヨコさんとは組めない!ふたりたすと100歳超える~!
不名誉と言うか天然記念物とかではなく、その内200歳ペアが出たりして(笑)
ハンデの妙もありますが、大声で言いたい!
こっちとら江戸っ子でぇー!
なんでぇー、なんでぇー、ハンデー!
ハンデなんぞいらねぇやぃ!べらぼうめ!
ハンデなんぞ!・・・でも、 ほふぃー(欲しい)!(爆)
皆さん凄い!冬のアナタさんのペアも凄かったですよ!また楽しみがふえました。
ナイター主催者さん誘ってくれるかな?(不安)
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高原テニス・気分一新・【部活・重要】ラケット+バッグ購入 来月5日の件・ぶわー・初・体・験☆・( ̄ー ̄)・ タイトルなし・キーホルダー・マリアシャラポワ・台風なのに・・・。・[日記]ショッピング? 気分一新(酒とテニスの日々)たまたま
Author:冬のアナタ
1963年東京都生まれ。中学から20代まで“軟式庭球”に没頭するが、1992年のルール改訂に腹を立て軟式と決別、その後急速に硬式にのめり込み数々の草トーナメントを転戦するが、40歳の頃、ジュニアとママさんの練習のお手伝いをきっかけにおよそ10年ぶりにソフトテニス界に復帰、現在は“両刀遣い”という名の中途半端さをウリにしている。
テニスの観戦やプレーも楽しむ一方で、ラケットやウェアの変遷や、テニス関連の古書など、テニスの文化的側面にもオタク的な関心を示す性癖あり。
軟式庭球研究所 代表
I was born in Tokyo in 1963.
Since the days of a junior high student, I devoted myself to soft tennis to 20s, but I got angry at the revision of a rule enforced in 1992 and have stopped soft tennis.
I was absorbed in tennis rapidly and participated in many amateur tournaments, but, in the days of 40 years old, I came to help with the exercise of the youth and mom, and it reopened soft tennis after an interval of approximately ten years in an opportunity.
I appeal to you for the half-finished state that should be called "like both liquor and sweets" now.
I enjoy that I watch a game of the tennis and that I play tennis and, on the other hand, tend to have an interest geek-like for the cultural domain of the tennis including an ancient book related to tennis and the change of the racket and tennis wear.