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2005-12-07

北海道遠征の想ひ出

ぼくは仙台市にある大学に入学すると同時に軟式庭球部に入ったのですが、その大学は札幌市にある大学と定期戦をやっていまして、ぼくが1年のときはアウェー、つまり札幌での開催でした。


この遠征がすごかった! 飛行機ならあっという間なのに、ビンボー学生だったので列車を乗り継いでいくという強行軍だったのです。


まず仙台駅を夜中の12時すぎに通過する急行「八甲田」というのに乗って青森まで行きます。(この「八甲田」というネーミングが“二度と帰って来られないのではないか”という恐怖をいだかせます)
これは上野-青森間を約13時間かけて走る急行なのですが、夜行でありながら、座席は背中が垂直のボックスシートのみという列車です。座ったまま寝るしかないのかと思いながら乗り込んでみるととんでもない! 上野から乗ってきたと思われる労働者風のおじさんたちが、通路にまで寝転んでいるような状態で、そのおじさんたちを踏まないように気をつけながら空いている座席を探します。
結局、全員が座れるだけの座席は確保できず、交代で座りながらほとんど眠れない状態で朝6時ごろに青森に到着します。


ここから青函連絡船に乗るのですが、船が出るまで3時間以上待たねばならず、待合室で仮眠をとっていると、ようやく出船の時間がきます。(このとき「乗船名簿」というのを書かされ、再び死の恐怖が頭をよぎります)
さすがに船の中ではゆっくり眠れるんじゃないかと思っていたのですが、「1年生はデッキの上で芸をやれ」との命令が下り、ほかのお客さんたちもたくさん見ている前で恥ずかしい芸をさせられます。


3時間以上の航行を経て函館に着くと、特急の発車時刻が2分後に迫っているとのことで、重い荷物を持ちながらダッシュで乗換をしなければなりません。どうしてこう連絡が悪いのでしょうか。


札幌駅に着き、地下鉄に乗り換えてようやく旅館にたどり着きます。時刻は午後4時になっていました。仙台駅を出てから16時間が経過していることになります。
あー疲れた、とっとと風呂に入ってテレビでも見るか(今だったら間違いなくビールを飲んでいるでしょう)と思ったそのとき、「すぐに着替えて玄関前に集合!」との号令がかかりました。


この旅館は相手の大学の近くにあるのですが、これからその大学のコートで練習をするというのです。コートまでは声を出しながらランニングで行き、コートに着いたら体操して、すぐ乱打です。
自分では一生懸命やっていたつもりなのに、先輩が、


 「○○(←ぼくの名前)っ! 足が動いてないぞ!!」


・・・そりゃ動くわけないでしょ、ふつー。


急行「八甲田」も青函連絡船ももうありません。こんなハードな遠征は二度としたくないとは思いながら、心のどこかで、もう一度あのルートで旅をしてみたいなと思っている自分が不思議です。

コメント

東北新幹線の開通前、上野から特急『はつかり』が、急行『八甲田』が、寝台特急『はくつる』が走っていましたね。常磐線経由で特急『みちのく』、急行『十和田』、寝台特急『ゆうづる』だったでしょうか?どれも懐かしい名前です。
青函連絡船は、大学に受かった年の3月に乗りに行きました。この年で廃止になるので。
この時、予備校時代の仲間達と偶然乗り合わせて、日帰りの予定を変更して函館に泊まりました。
青森からの帰りは、急行『津軽』でした。あの頃の友人達はどーしてるかなぁー?
そういえば、この時知り合った人と世田谷大会で再会したことあったっけ。
などと、つらつらと思い出して懐かしんでしまいました…
そして、この夏、突発的に秋田に車で出かけたことも思い出しました…
のんびりとした旅には趣がありますね~
(冬のアナタさんの旅はハードだったようですが…^^;)

冬のアナタさん、こんばんは。
冬のアナタさんにとってはハードなたびだったでしょうが、なおのこと思い出に残っているのでしょうね。決して楽でないことや理不尽に思えることが必ずしも『無駄』とは限らないですよね。羨ましいくらいの思い出です。

ハードなたびといえば、青春十八切符で京都いったくらいかなぁ・・・
貧乏旅行は貧乏の時にしかできない贅沢なんだなぁと思いました。

笑わせていただきました。
冬のアナタさんの大学ってインテリジェンスだと思っていたのは、間違いなのでしょうか(笑)
このハードなスケジュールを見たら、誰だって驚きますよ!
しかも既に昭和60年に近い頃ですよね。戦争中の話ではないのよね(笑)

冬のアナタさん おはようございます
連絡船でのパフォーマンスは恥ずかしくもあり、懐かしいモノでしょうね。
この頃から才能が目覚め始めたのでは?(笑)
札幌行きの切符で乗った電車が冬のアナタさんのソフトテニスの『発行』だ!(スタート)なんて思えます。(笑)
私は Road Of softtennis 行きの電車に乗っていますが、切符の有効期間が『時効(翁行=ジジイは行く)』間近!
まだまだいろんな思い出を作らなくっちゃ!

 「思ひ出」と表記するような昔の出来事なのでしょうか。(笑)。
 まさか年齢詐称?
 つっこみのつもりです。
 

みなさんコメントありがとうございました。
これを読まれたある方から「こんなに労力をかけて、いったいどれくらい交通費を安くできたのか?」という質問が寄せられました。
このツアーで交通費が1人当たりいくらくらいかかったのか全く思い出せませんが、例えば飛行機と比べたとしても、半額以下になったとは思えません。
これならまだフェリーを使ったほうがよかったと思います。
実際、この翌年にある大会で再び札幌に行ったときには、仙台発苫小牧行きのフェリーで行ったのですから。
(このフェリーも当然ながらだだっ広いカーペットの上での雑魚寝でした。でもちゃんと寝られただけましです。デッキの上ではつまらない芸をさせられることもなく、みんなでポンポンをしたのはよい思い出です。おそらくボールを何個か海に落っことしてしまったと思いますが・・・)
今思い出したのですが、石川さゆりの大ヒット曲「津軽海峡冬景色」の歌い出しの、
 ♪上野発の夜行列車降りたときから 青森駅は雪の中
は、ぼくらが乗った「八甲田」のことでしょうね。間違いない!

私、うまれは函館の「道産子」です。この旅程はよぉ~くわかります。座席の硬さ、青函連絡船の状況、もう懐かしい思い出としか・・・・・。
今では仙台からは、はやてを使えばあっという間に八戸。白鳥号を乗り継げば、函館なんて4時間ぐらいでいけちゃいますね。札幌だって6・7時間です。当時の半分ですね。
私も函館から北斗星で帰ってくるとき、妙にノスタルジックな気分になったことがあります。

そうですか~、デイジーママさんは「函館の女」だったんですね。
 ♪は~るばるきたぜ 函館へ~
  あ~なたと食べたい さけ茶漬け~
でしたっけ?
以前会社の上司が、「函館の女は情が深くていいぞ」などと言っていたのを耳にしたのですが、ただその上司の奥さんが函館の出身だということのようでした(笑)

質問掲示板でお世話に成っている、こんです。イロイロと、アドバイスやフォローありがとうございます。本来なら、掲示板にてお礼をするべきでしょうが、ちょっとレスしづらくてこちらに遊ぶに来ました。
私も、札幌生まれの道産子です。どこの大学かな~なんて想像しています。
札幌で、中、高とテニスに明け暮れ 後一歩でインターハイを逃しました。(そんな程度です)
来期もますますのご活躍をお祈りいたします・・。

こんさん コメントありがとうございます。
この3連休、「武田塾」のほうに行っておりまして遅くなりました。
こんさんも道産子なんですね。
ぼくはこの大学1年のときの遠征で初めて北海道の地を踏みましたが、やはり本州にはない雄大さを感じました。
その後も何度か北海道には行きましたが、食べ物は美味しいし、暑さよりは寒さに強いぼくとしてはかなり魅力的な土地だと思います。
とは言っても、札幌・苫小牧・小樽くらいしか行ったことがないので、いつか旭川とか函館とか釧路とか網走とか・・・その他の場所にも行ってみたいと思っています。
今後ともよろしくお願いいたします。

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