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2012-11-15

ソフトテニスの大会は学校の縮図になっていないか

ソフトテニスはもともと、明治時代に硬式テニスが日本に輸入されてきたが、ボールが高価で国産も難しかったため、代わりにゴムまりを使ってみてはどうか、ということで誕生し、現在に至っているという経緯がある。


古くは東京高等師範学校(後の東京教育大学、現在の筑波大学)、近代では日本体育大学の卒業生が中心となって全国各地に教員として赴任し、爆発的に広まったとされている。


中学・高校の体育で軟式テニスが導入されたり、硬式テニス部はなくても軟式テニス部はたいていどこの学校にも存在するなど、ソフトテニスは、学校教育の場を中心に発展してきたと言っても過言ではない。
現在でも、競技人口(日連登録者数)の大半は中高校生である。


中学や高校の大会では、「大会運営サイド=先生」「参加選手=生徒」という図式になるので仕方がないのだが、最近感じるのは、小生たちが日ごろ参加している一般の大会までもが、この中学・高校の場合とほとんど同じ図式、つまり「大会運営サイド=先生」「参加選手=生徒」というヒエラルキーの中で運営されているのではないか、ということである。


決して大会運営に携わる本部の係の方々に問題があると言っているわけではないのだが、ソフトテニスの大会は総じて選手に対する制約や強制が多すぎるのではないかと思っているのだ。


それは、学校教育の現場で見られるさまざまな制約や強制、あるいは儀式のようなものに限りなく近い。


「大会運営サイド=先生」「参加選手=生徒」という図式に加えて、さらにソフトテニスの大会と学校現場のあてはめを行ってみる。


まず、ユニフォームは「制服」もしくは「体操着」である。

公認メーカーのウェアを着なければいけない、とか、アンダーウェアは露出させてはいけない、などというのは、学校指定の制服や体操着を着なければいけない、というのとほとんど同じくらい横暴な強制である、と思う。


小生の中学時代、体育の時間に学校指定のダサいジャージを着るのがイヤで、アディダスとかアシックスのジャージを着たりしようものなら、体育教師に回し蹴りを食らった挙句に、冬場でもそれを脱がされたりしていたものだが、たかがウェアごときでなぜそこまで縛られなければいけないのか、いまだによくわからない。
ソフトテニスのユニフォームには、あらゆる意味で自由度がなさすぎるのだ。


次に、何年か前から着用が義務付けられたゼッケンは、「名札」もしくは「校章」である。

学校というのは、なぜあれほど名札や校章をつけることを強要したがるのかわからない。


われわれが小学生の頃は、名札をつけることが義務付けられていたものだが、現在では名札は原則廃止、仮につけるとしても、学校の中だけに限定され、登下校時ははずすということになっているらしい。


言うまでもなく、プライバシー保護の観点からなのだが、なぜソフトテニス界はこういう社会の趨勢に逆行してゼッケンの着用を義務付けるなどという“暴挙”に出たのだろうか?
ゼッケンに書かれている名前がもとで何か取り返しのつかない事件が起きた場合、ゼッケン着用の義務化を軽率に導入した連盟は責任を取れるのだろうか?


そして、開会式は「朝礼」である。

なぜ全員が朝イチで集合する必要があるのかがわからない。全員を集合させることそのものが目的化しているとしか思えない。


一日で決勝まで行う大会であればともかく、今日は3回戦まで消化して終わり、という大会であるならば、必ずしも全員を朝イチで集合させる必要はなく、たとえば前半のブロックは9時、後半のブロックは13時と、集合時間をそれぞれ変えたほうが、誰にとってもハッピーなはずである。
それを、意味もなく全員を朝イチで集合させ、“校長先生”の意味のない挨拶を延々と聞かせるというのは、単なる主催者側の自己満足である。
開会式を行わないことで困ることなど何もないはずだ。


硬式に没頭していた頃、いろんな草トーナメントに出場したが、ウェアは原則自由、ゼッケンなどあるわけもなく、集合時間もブロックごとに柔軟に決められていた。


何より、受付時に「いらっしゃいませ」という雰囲気があったのが忘れられない。つまり選手は「お客さま」なのだ。


ソフトテニスの大会でも硬式のようにお客さま扱いをしてほしい、などと言うつもりはまったくないのだが、ソフトテニスの大会は総じて選手や観客に対するホスピタリティーがなさすぎる。


ホスピタリティーは、その競技の持つ“ふところ”であり“余裕”なのだと思う。いまだに“ソフトテニスをオリンピックに”などという絵空事を言っている人がいるのかどうかは知らないが、少なくともこの競技を他の競技団体や諸外国に対して胸を張れるものにしていくためには、このあたりをかなり改善しない限り、難しいものがあるだろうと思っている。


コメント

競技としての成り立ちが違うと思います

「学校の縮図」という言葉、言い得て妙と思います。
そもそも各種のスポーツが欧米から輸入された明治の頃、その採用と普及に携わってきたのは学校体育であり、日本発のスポーツでスポーツとされているのは弓道、柔道、剣道、空手道、相撲など各種武道のみです。これらは心身の鍛練及びルールのある闘争という意味ではスポーツの概念にあてはまりますが、同時にセレモニー性等も重視されているものです。これらも明治以降、学校主導で普及活動が行われています。
特にヨーロッパで発生した貴族の娯楽としてのスポーツと、学校体育教育主導で普及してきた競技では運営方法も違って当然と考察します。
これが、興業性が高くプロ化(私はショービジネス化と思っています)されるようなスポーツならホスピタリティ重視の指向は当然と思いますが、ソフトテニスは残念ながら導入の背景、運営の歴史、現在の統治機構(各種連盟の構成員)も含め、現状では学校体育の延長競技であり、興業性は皆無と思っています。
したがって、現在の連盟役員の構成を含めたシステム変革がない限り、一般社会での顧客満足的な運営方法はあり得ないだろうと思っています。
考えを改めてもらうために訴え続けるしかないのでしょうが、現状では各種連盟や主催者側にその様な窓口も手段もないので、オピニオンリーダー的なサイトに流れをつくっていただくのが最善と考えています。
一度、ナロさん主催の大会とかで理想の運営による大会をつくっていただき、そのフォーマットを各種連盟に売り込んでいくのがいいかもしれませんね。
長文失礼いたしました。

ゼッケン

おっしゃられるとおり、なぜこの時代にゼッケンなのか・・・娘を持つ親としては疑問だらけです。

ゼッケンは必要でしょう

ゼッケンは必要と思います。
見学していても、このコートで試合しているのが誰なのか?全く判らないためです。
学校などの団体名、試合している本人の姓はゼッケンに表記されていて問題ないと思います。

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