Nanshiki Teikyu Research Institute
突然ですが、世の中には結局2種類の人間しかいないのです。
「花粉症の人間」と「花粉症でない人間」です(笑)
こんなことを書いているくらいですから、冬のアナタは言うまでもなく前者にあたります。
花粉症と診断されたのはいつだったでしょうか。たしかあれは社会人になってからだったと思います。もともと鼻炎ぎみの体質だったのですが、ある春先にそれがひどくなったので病院に行って、
「あのー、何か花粉症みたいな症状なんですけど」
と言ったら、お医者さんが笑いながら、
「花粉症みたいじゃなくて、完璧な花粉症です!」
と言い放ったのを覚えています。
症状としては、目が痒くなるというのもありますが、圧倒的に鼻のムズムズ・グシュグシュがひどいのです。
あるとき、アレルギーのテストをしたところ、やはり「スギ」に高い反応が見られたのですが、「ヒノキ」もそれの半分くらいの反応は出ておりました。
人によっては、この「スギ」や「ヒノキ」のほか、「セイタカアワダチソウ」など秋に花粉が飛散する植物に反応するケースもあるそうで、そういう人は辛さが2倍で本当に気の毒だと思います。
花粉症と診断されてからというもの、毎年シーズンになると、飲み薬と鼻炎スプレーを中心に処方してもらってきましたが、以前の飲み薬は眠くなるタイプのものが多く、それは別の意味でとても辛かったのを思い出します。
ここ2~3年は、1日に1回飲んでおけば何とか辛さを克服することができ、眠くなることもない薬に出会うことができたので、もう花粉はコワくないと思っていたのですが、今年はいきなりひどい目にあっており、大変困っています。
何が困るって、昨年まで効いていた薬が効かないのですよ(涙) ←いや、(鼻水)と書いたほうがいいかもしれません。
薬を変えてもらおうと思ってお医者さんに行ったら「薬は薬で飲んで、それよりもマスクをするとか、できるだけ花粉を遠ざける努力をしたほうがいい」などと言われてしまいました。
うーん、マスクは好きじゃないんだけどな。。。
ところで、花粉のシーズンであってもテニスをしているときだけは、不思議なことにそれほど辛かった記憶はないのです。
20代の頃には、季節の変わり目になるとかなりひどい偏頭痛に悩まされていたのですが、そのときもテニスをすると治ってしまった、なんてこともありました。
そのほか、風邪を引きかけたときとか、胃腸の具合が悪いとき、あるいは二日酔いのときなど(?)、テニスは外傷以外ならたいていの病気を治してくれたような気がします。
ラグビーの世界で「魔法の水」というのがあります。ヤカンに入ったただの水なのですが、気を失った選手の頭にその水をかけると息を吹き返すだとか、たいていのことに効くという言い伝えのあるものです。
テニスはぼくにとっての「魔法の水」のようなものかもしれない・・・そう思いたいところですが、仕事中・食事中・睡眠中と、ありとあらゆるシーンで花粉が襲ってくるたびにいちいちテニスをするわけにもいきません。
今シーズンはまだ始まったばかりですが、あとおよそ2ヶ月、桜のシーズンまでを精一杯戦い抜きたいと思います。
同志の皆さんもともに戦いましょう!
と言いたいところですが、残念ながら、今のところ後者にあたり、深く同情するだけです。お見舞い申し上げます。
小さいときから、杉、檜を植林し、高校時代テニスコートから見える山の斜面を大きな鎌をふるって手入れする私を恩師が双眼鏡で見ているという、何とものどかな生活環境でありましたので、花粉アレルギーになりようがないのであります。
ストレスの深化が、薬が効かなくなった原因では?
コメントありがとうございました。
お名前の記載がありませんでしたが、さまざまな点から総合的に考えて、アゴイ!さんと断定するに至ったのですが、もし違ったらごめんなさい。
薬の効き目は日によっても違うようです。東京は今朝雨でしたが、こういう日はかなりラクですね。
あれ、アゴイ!とネームがでているので、、、、。
まちがいなくアゴイ!です。失礼しました。
我が職場にも一人前者の女性がいて、苦しんでいる様は、お気の毒です。
まわりはのどかな杉林ばかりの職場環境です。
他にも、何とか症状を抑えている人も一人います。
小さな学校で、子どもの食物アレルギー反応には敏感に対応していますが、杉花粉にはなすすべなし、です。
ではまた。
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Author:冬のアナタ
1963年東京都生まれ。中学から20代まで“軟式庭球”に没頭するが、1992年のルール改訂に腹を立て軟式と決別、その後急速に硬式にのめり込み数々の草トーナメントを転戦するが、40歳の頃、ジュニアとママさんの練習のお手伝いをきっかけにおよそ10年ぶりにソフトテニス界に復帰、現在は“両刀遣い”という名の中途半端さをウリにしている。
テニスの観戦やプレーも楽しむ一方で、ラケットやウェアの変遷や、テニス関連の古書など、テニスの文化的側面にもオタク的な関心を示す性癖あり。
軟式庭球研究所 代表
I was born in Tokyo in 1963.
Since the days of a junior high student, I devoted myself to soft tennis to 20s, but I got angry at the revision of a rule enforced in 1992 and have stopped soft tennis.
I was absorbed in tennis rapidly and participated in many amateur tournaments, but, in the days of 40 years old, I came to help with the exercise of the youth and mom, and it reopened soft tennis after an interval of approximately ten years in an opportunity.
I appeal to you for the half-finished state that should be called "like both liquor and sweets" now.
I enjoy that I watch a game of the tennis and that I play tennis and, on the other hand, tend to have an interest geek-like for the cultural domain of the tennis including an ancient book related to tennis and the change of the racket and tennis wear.